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写真屋さん



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上京して一年後、ようやく職を見つけた。

街の写真屋さん。

結果、ここは一年半くらいでやめた。

全くこの世界を知らずに、飛び込んだので写真屋さんで働けばいずれ、

雑誌の撮影や街にある女優のポスターなどの仕事ができると思っていた。

でも絶対に、それは敵わないということに気がついた。

写真屋さんは、一般の方を相手に記念写真をネガフィルムで撮る職業。

フォトグラファーとは、媒体上でポジフィルムで撮る職業。

似て異なる全く別の領域で、僕が考えていたステップは絶対に無理だと判断したからだ。


ある日、幼稚園の運動会の撮影に店主と一緒に行った。

カメラを渡され、もう撮影する事になっていた。

跳び箱を飛び越えた女の子が最高の笑顔を見せたので、正面からアップで撮った。

怒られた。

いい写真だったと思うがなぜ???

写真屋さんは基本、保護者相手に販売で売り上げを上げている職業だ。

1人しか写ってなければ、1人しか買わない。

常に、4〜5人まとめて撮れと言われた。

いい写真を狙おうとしないのは、カメラマンとしておかしいんじゃないですか?

生意気にも、店主に食ってかかった。

今考えれば、その領域の「正しい事」があるのは理解できるがその時の青臭い僕は理解できなかった。

別のバイトで行った結婚式の披露宴の撮影。(有名な結婚式場)

そのころは、フィルム3本渡されて、全部撮るカットを決められる。

入場、正面から縦位置、ケーキカット横位置一枚というように全てアルバムに貼る写真を

決めた上での撮影だった。

キャンドルサービスの時、新郎が新婦の腰を支えた指にきらりと光る指輪が、とても素敵に見えてアップで撮った。

「余計なもの撮るんじゃない!」と撮影チーフにひどく怒られた。

またそこでも喧嘩して、1日でやめてしまった。

今、これらの世界も大分変わった。

その頃の僕は、いい写真を撮るんだというイメージだけが空回りして、

そこらじゅうで大人達とぶつかっていた。

大して撮れもしないのに、生意気なだけのガキだった。


ただ、いい写真を追い求めないのは絶対に違うと思っていた。

その思いが発揮できない場所ならば領域を変えようと思い、広告写真のアシスタントに飛び込んだ。


ここから三年間は、生意気で大人と平気で喧嘩する自分は地中深く沈められる。

人間として全否定され、最低の権利も認められない地獄の日々が始まった。

今では考えられないが、僕の時代でもかなり前時代的な師匠で、今でも姿を見たら硬直して

直立不動になるだろう。


「いい写真を撮る」どころじゃない。

やれるのは4×5のフィルム詰め、運転、洗車、靴磨き。

カメラを触れるのは2年後、シャッターを切らしてもらえたのは3年後だった。


 
 
 

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