嘲笑
- beatni2009
- 3月22日
- 読了時間: 3分

そうだよ。。。。
横浜だった、確か。
上京して半年程が過ぎたころ、土方のバイトをしながら夜とか休みの日に
写真を必死に撮っていた。
質屋で買ったキャノンの一眼レフにレンズ一本だけで、江ノ島の岩の上にコーラの瓶を
置いたりして、浅井慎平の「いいちこ」もどきの写真を撮って喜んでいた。
同時に片っ端からプロダクションや代理店に電話して、
写真を見てもらう機会を狙っていた。
ある日「いいよ、みせてください」と言ってくれた会社があり、勇んでBOOKにまとめた写真を持って行った。
今思えば何のコンセプトもない写真だが、
若さゆえの馬鹿さで意気揚々とその会社を訪問した。
担当者から意外な発言が。。
「いいじゃないですかあ!素晴らしい、これでカレンダー作りましょうよ」
「ほんとですか?!」
天にも昇る気分とはこの事だ。
まさか、1発目で決まるとは!しかもカレンダーで写真デビューだ!!
嬉しくてお袋に電話した。
何も嬉しい報告とかではなく、見返してやったと言う想いでの電話だった。
名古屋から写真家になると言って飛び出してきた時、みんな笑った。
経験もない、ツテやコネもない人間が成功できるはずがないとバカにされまくった。
特に親はその急先鋒で、冷ややかな目線で「人生を舐めてる」と言われた。
だから、ほら見ろ!出来るんだよ俺は。カレンダーで写真家としてデビューするんだ、すげえだろ!的な電話だった。
そして連絡すると言ってくれた担当者の電話をひたすら待って1ヶ月が過ぎた。
なんの音沙汰もない。。。
2ヶ月が経ったころ痺れを切らして、電話してみた。
何度か掛けたが、居留守を使われている気がする。
それじゃ、って事で子供だったんだよねw
直接会社に行ってしまった。
担当者がいた。僕の顔を見て呆れた顔をしている。
「あの話どうなったんですか?、いつになったら作れるんでしょうか?」
大人の顔が一変する。
「わからないかねえ!迷惑なんだよ、適当に持ち上げれば大人しく帰ると思ったの。あんな写真で何がカレンダーだよ、ふざけるな!」
。。。。。今ここで俺にできる事は?
僕は、足元にあるゴミ箱や椅子などを蹴り飛ばしてドアをぶち破って外に出た。
帰り道、我慢しても我慢しても涙が溢れてくる。
今思えば、相手の対処も理解できるがその時はダメだった。
自分のやった幼稚な行動にも恥ずかしく、情けなく泣けてきた。
「ジンセイナメテル」の言葉が鼓膜の奥で鳴っている。
歩く道すがら、すれ違う人々全てが自分を嘲笑っているように見えた。
それは川沿いの街だった。
そのころ地理も何もわからなくて、横浜ってことだけしか頭に残っていなかった。
あれから、36年。。
最近その風景を突然思い出した。人間イヤな記憶は都合よく忘れるものだ。
日ノ出町、だった。
泣きながら歩いたのは大岡川沿いだ。
今の生活圏。
ここに住んでも全然思い出さなかった。
多分その会社はもう無いだろう。
僕はまだカメラマンを続けている。
36年経ってようやく見返すことができた気がする。
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