上手に撮れる
- beatni2009
- 5月4日
- 読了時間: 2分

時は流れ、、、、
地獄のアシスタント生活を3年で終え、人物撮影メインの制作会社のカメラマンとなった。
ここは4年で辞めてフリーになるつもりでいたが、あまりにも居心地が良くて7年も居てしまった。。
30代半ばでのフリーランススタートである。
最初から、仕事はあった。
小さいが雑誌社、在籍した制作会社、売り込みにいった広告代理店などから
ポチポチ仕事を頂きながら
フリーランスは滑らかに始まった。
ただ、この後アシスタント時代とは桁の違う地獄が待っていた。
能天気な僕は仕事ゼロではないので、なんとかやっていける気がしていたのだが勿論世の中甘くはない。
私事であるが、フリーになる時離婚をした。それなりにイイ給料をもらっていた
スタッフカメラマンを捨てフリーランスになる意味がわからないと女房に
三行半を突き付けられた。
今思えば子供が小学6年生と3年生、彼女の怒りは理解できる。
自分も若かった為、その時はなぜ理解してくれないと毎日喧嘩が絶えなかった。
結局離婚、僕が家を出ることになった。
その時このような男は2度と結婚はしてはいけないと強く自分に言い聞かせた。
要は自分の生活費が増え、子供たちの養育費を2人分払い続ける訳で
こんな仕事量ではとても維持していけない状況だった。
求人を雑誌コマーシャルフォトで見つけた。
この頃、JALがクリエーターの派遣業務をしていてフリーのフォトグラファーを
募集していた。
JALがやっているならそれなりの仕事のはずだ。
速攻連絡して面設日を取り付けた。
当日、ありったけの撮影した印刷物、新聞の全段広告、雑誌など資料を持っていった。
プロダクションで7年撮っていたため成果物はそれなりにあった。
面接してくれたのは、パリ・ヴォーグを撮っていたカメラマンの方だった。
一枚一枚印刷物を丁寧に見てくれている。
自惚と自信の境が曖昧な僕は当然採用されると思っていた。
「うん、なんでも上手に撮れていますね」
(ホラキタ!!)
一拍おいて
「なんでも撮れるって何も撮れないってことだよ」
(え!!?)
「その意味が分かったらもう一回来なさい」
人間性も心もペラッペラな僕は
(何だよこのキザ野郎は!)と不貞腐れて出ていった。
多くの有能な大人たちが僕を育ててくれた。
今思えばこの方の一言がどれだけ頭の中に鳴り響き、その後大きな影響を与えたか、、
いきがっているだけの小僧には、その時点では全くわからなかった。
しかし、
意外と早くその意味がわかる出来事が降りかかってきた。。
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