
舞台やテレビ局の照明さんだった僕が、カメラマンになるっ!
って上京したのは24歳の冬だった。昭和から平成に切り替わる頃だ。
勿論、写真を撮った事もなければ、カメラに興味があったわけでもない。
なのに写真で食っていくってイメージだけで上京してしまった。
若さというのはどこまでも無謀で浅はかだ。
オンボロアパートに引っ越しが終わった時点で、手持ちのお金は15万円。
でも全く不安は無かった。この先の希望や未来のワクワクが溢れまくっていた。
取り敢えず工事現場で日銭を稼ぎながら写真の仕事を探した。
今と違って、求人情報などはanやフロムエーなどの求人雑誌が月一で出るくらい。
他の術がない時代だった。
ある日、スポーツ新聞を見ていると、いかがわしい記事のちょっとしたスペースに、
写真!青年!募集!とあった。
おおおおおー!
写真の仕事あるやん!!
田舎もんの無知な青年は、いそいそと待ち合わせ場所の大久保の駅に向かった。
今だったらスポーツ紙の3行広告、場所は大久保駅。、絶対行かない(笑)
草履ばきのオッサンが迎えに来て、連れて行かれたのはオッサンのアパート。、
部屋一面に陳列してあるのはホモ雑誌。。。
「ウチはホモ専門なの」
そうですか。。。。
でも、写真の仕事ができるなら
撮る対象がホモであろうが、やるべきじゃないかと迷っていたら
「イヤ、撮るんじゃなくて出るんだよ」
「とりあえず電話番号書いて」
。。。。。、帰るわw
アホだから次こそと思って行ったらまた、同じだった。
今度は新宿2丁目w
2丁目や大久保がどんな街かもこっちは知らんし、右も左もわからんガキが手に届く範囲はそんな仕事ばかり。
本屋に並ぶ雑誌や街の大きなポスターは確実にこの東京で生まれている筈。
どうすれば、そこに行けるんだよ。
とてつもなく遠い。。
ため息が日毎に増えていった。
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