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無知と無謀

beatni2009



舞台やテレビ局の照明さんだった僕が、カメラマンになるっ!

って上京したのは24歳の冬だった。昭和から平成に切り替わる頃だ。

勿論、写真を撮った事もなければ、カメラに興味があったわけでもない。

なのに写真で食っていくってイメージだけで上京してしまった。

若さというのはどこまでも無謀で浅はかだ。

オンボロアパートに引っ越しが終わった時点で、手持ちのお金は15万円。

でも全く不安は無かった。この先の希望や未来のワクワクが溢れまくっていた。

取り敢えず工事現場で日銭を稼ぎながら写真の仕事を探した。

今と違って、求人情報などはanやフロムエーなどの求人雑誌が月一で出るくらい。

他の術がない時代だった。

ある日、スポーツ新聞を見ていると、いかがわしい記事のちょっとしたスペースに、

写真!青年!募集!とあった。

おおおおおー!

写真の仕事あるやん!!

田舎もんの無知な青年は、いそいそと待ち合わせ場所の大久保の駅に向かった。

今だったらスポーツ紙の3行広告、場所は大久保駅。、絶対行かない(笑)

草履ばきのオッサンが迎えに来て、連れて行かれたのはオッサンのアパート。、

部屋一面に陳列してあるのはホモ雑誌。。。

「ウチはホモ専門なの」

そうですか。。。。

でも、写真の仕事ができるなら

撮る対象がホモであろうが、やるべきじゃないかと迷っていたら

「イヤ、撮るんじゃなくて出るんだよ」

「とりあえず電話番号書いて」

。。。。。、帰るわw


アホだから次こそと思って行ったらまた、同じだった。

今度は新宿2丁目w

2丁目や大久保がどんな街かもこっちは知らんし、右も左もわからんガキが手に届く範囲はそんな仕事ばかり。

本屋に並ぶ雑誌や街の大きなポスターは確実にこの東京で生まれている筈。

どうすれば、そこに行けるんだよ。

とてつもなく遠い。。

ため息が日毎に増えていった。

 
 
 

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