写真屋さん
- beatni2009
- 4月6日
- 読了時間: 3分

上京して一年後、ようやく職を見つけた。
街の写真屋さん。
結果、ここは一年半くらいでやめた。
全くこの世界を知らずに、飛び込んだので写真屋さんで働けばいずれ、
雑誌の撮影や街にある女優のポスターなどの仕事ができると思っていた。
でも絶対に、それは敵わないということに気がついた。
写真屋さんは、一般の方を相手に記念写真をネガフィルムで撮る職業。
フォトグラファーとは、媒体上でポジフィルムで撮る職業。
似て異なる全く別の領域で、僕が考えていたステップは絶対に無理だと判断したからだ。
ある日、幼稚園の運動会の撮影に店主と一緒に行った。
カメラを渡され、もう撮影する事になっていた。
跳び箱を飛び越えた女の子が最高の笑顔を見せたので、正面からアップで撮った。
怒られた。
いい写真だったと思うがなぜ???
写真屋さんは基本、保護者相手に販売で売り上げを上げている職業だ。
1人しか写ってなければ、1人しか買わない。
常に、4〜5人まとめて撮れと言われた。
いい写真を狙おうとしないのは、カメラマンとしておかしいんじゃないですか?
生意気にも、店主に食ってかかった。
今考えれば、その領域の「正しい事」があるのは理解できるがその時の青臭い僕は理解できなかった。
別のバイトで行った結婚式の披露宴の撮影。(有名な結婚式場)
そのころは、フィルム3本渡されて、全部撮るカットを決められる。
入場、正面から縦位置、ケーキカット横位置一枚というように全てアルバムに貼る写真を
決めた上での撮影だった。
キャンドルサービスの時、新郎が新婦の腰を支えた指にきらりと光る指輪が、とても素敵に見えてアップで撮った。
「余計なもの撮るんじゃない!」と撮影チーフにひどく怒られた。
またそこでも喧嘩して、1日でやめてしまった。
今、これらの世界も大分変わった。
その頃の僕は、いい写真を撮るんだというイメージだけが空回りして、
そこらじゅうで大人達とぶつかっていた。
大して撮れもしないのに、生意気なだけのガキだった。
ただ、いい写真を追い求めないのは絶対に違うと思っていた。
その思いが発揮できない場所ならば領域を変えようと思い、広告写真のアシスタントに飛び込んだ。
ここから三年間は、生意気で大人と平気で喧嘩する自分は地中深く沈められる。
人間として全否定され、最低の権利も認められない地獄の日々が始まった。
今では考えられないが、僕の時代でもかなり前時代的な師匠で、今でも姿を見たら硬直して
直立不動になるだろう。
「いい写真を撮る」どころじゃない。
やれるのは4×5のフィルム詰め、運転、洗車、靴磨き。
カメラを触れるのは2年後、シャッターを切らしてもらえたのは3年後だった。
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