ポトレとモデル
- beatni2009
- 2月21日
- 読了時間: 3分
写真とは、写っている物以外、見る物に色々な感覚を与える不思議なものだ。
インスタでフォローしているある団体。絵のクオリティが凄い。
私が見ても世界観、ライティング技術、トータルなデザイン性、全て完璧だと思う。
なのに、最後に残る違和感と安っぽさを感じながら、何故なのだろう?と思って見てきた。
今、受講生やうちのスタッフは売り込み用のBOOK作りに励んでいるところまで来た。
広告のアートディレクターや雑誌の編集者に見て貰う為の作品作りだ。
参考にする他の人の写真などをかき集めて、ヒントを得ているが上記の団体の写真は
全く入ってこない。駆け出しのプロにとって全く参考にはならない。
なぜ?
ライティングや構図、世界観の構築、全てそちらの方が参考資料の写真より遥かにクオリティは高い。
なのに除外されるのは何故なのだろう?
最後に残る安っぽさの違和感は何なのだろう?
モデルの問題。。。。
女性スタッフとの会話からわかった事だが、モデルが違う。
綺麗のレベルとかでは全くない。
なんならその団体が撮るモデルは素晴らしく綺麗で、セクシーだ。
モデルが出す空気が違うらしい。
やはり、ポトレモデルという範囲の娘たちはその写真に自分が残る。
自分の嬉しい感情や、私のキレイさを見て欲しいという
オモイッキリ「ワタシ」が出る。
一方、プロモデルというのは全て目的やコンセプトの為にカメラの前に立つ人の事で
「ワタシ」はひっそり後ろ側に回って出てこない。
この違いか。。。
これが、プロカメラマンになろうとしている彼らにお勧めできない理由だった。
撮り手の問題ではない。。。
高い金出しても、プロモデルにお願いして作品撮りしろって言ってきたのは確かなことだ。
先の団体がもし、知り合いのディレクターに売り込みにったら
「凄い写真ですねえ、で?なんですかコレ?」って反応するのが容易に想像できる。
自分が30代の時、写真事務所兼モデル事務所をしていた時。
車のパーツの会社の年間広告のポスターを制作するためにうちでオーディションをして
3人のキャンギャルを選び、撮影することになった。
当日センターに立っている20歳の娘がずっと手鏡を離さず、シュート時以外全て髪型を気にしていた。我慢していたがメイクさんが駆け寄ってきて「あの子自分でメイク変えちゃった」と聞いてまあ、ブチギレました。
「お前をキレイに撮るためにこんな大勢の人間が集まってんじゃねーぞ!メイクはコンセプトを元にやっているんで、お前が気にいるかどうかなんか関係ねーんだよ!帰れ!」
って怒鳴って大泣きする娘を仕事から下ろした。その後違う子を急きょ呼んで撮影を終えた。自分も若かったし今思うと大人気ないとも思うが、、、間違ってはいなかった。
結局怒鳴られた娘は三年うちにいて
最後は大手の製薬会社の年間広告を1000人のオーディションの中から勝ち抜いて物にした。
その時初めて「ワタシモデルです!って胸はって言っていいよ」
と伝えた気がする。
当たり前のことで、モデルはその役割を理解しコンセプトの実現に向けてカメラの前に立つ。それが成功して報酬を得るものだ。
ただ「写真を撮ってほしい」「綺麗な自分を残したい」というマインドとは全く違う。
では、ポトレモデルがダメか?いう話をしているのではない。
彼女たちの存在は、アマチュアカメラマンにとって作品作りに必要不可欠で多くの素晴らしい写真を生んでいる。
これは、ただ領域の違いの話。
プロモデルという定義を勘違いしている、女の子やカメラおじさんが多くいる事が、変な論争の種になっている今日この頃な気がする。

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